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地域の歴史

(2)鬼怒川の水利開発

   鬼怒川の源流は、鬼怒川温泉から旧栗山村の川俣、さらに奥鬼怒へとさか上った日光沢温泉の南側に位置する根名草沢が最奥となっています。この付近には我国で最も高所に位置する高層湿原(鬼怒沼)があり、腐食栄養湖といわれる大小47余りの池塘があります。
 この源水域の多くの部分が日光国立公園の中にあり、水源の鬼怒沼から利根川に合流するまでの流路延長は、約177kmです。
 利根川水系1級河川の鬼怒川は、源流域が急流河川で両岸は高く渓谷状をなしており、奥日光を源とする大谷川を合流してからは河岸段丘を形成し、その後は扇状地を南流しています。

 鬼怒川は古来から流域に多大な恩恵を与えてきたが、時としては甚大な水害が発生し洪水の被害は酷いものでした。
 当地区辺りの鬼怒川は度々発生する洪水により砂礫を堆積し、川筋は定まらず河幅が大きく、取入口の維持に苦心していました。

 関東の大河川沿いの開発は治水の困難から遅れており、開発が本格的に進んだのは戦国末期から、特に徳川時代以降でした。
 当初は鬼怒川上流から宇都宮へ通じる水運(筏流し)に主体を置く形の水路開削が成され、その後用水不足を補うため、各用水に係る引入口の開削が進められました。

 鬼怒川の水利開発は上流側の諸用水は佐貫地先に取水口を統合し、国営かんがい排水事業鬼怒川中部地区として、佐貫頭首工(取水量42m3/S)と付帯する幹線支線の導水路網を整備し、昭和41年に完成しました。
 また、下流側は同じく国営事業によって真岡市勝瓜地先に取入口を統合し、鬼怒川南部地区として勝瓜頭首工(取水量18.95m3/S)と付帯する幹線導水路網が昭和50年に完成しました。